柳宗理
日本を代表するデザイナー「柳宗理」が生み出す、ユニークかつ実用的なキッチン用品。装飾の少なさがかえって美しく、世界中のファンを魅了し続けています。スタイリッシュかつシンプルなキッチン用品はただの“器具”としてではなく、あなたのお台所を素敵に演出する“インテリア”としても活躍してくれるでしょう。
柳宗理の生い立ち
柳宗理は1915年(大正4年)の6月29日、柳家の長男として生まれました。父の柳宗悦は白樺派の同人作家で、後の「民藝運動」の指導者です。母の兼子は日本を代表するアルト歌手でした。
宗理は父方の実家である原宿で生まれ、千葉県我孫子の手賀沼で少年期を過ごします。
近くには白樺派の志賀直哉や武者小路実篤の住まいがあり、またイギリス人陶芸家のバーナード・リーチの窯もありました。リーチは週の半分を柳家で過ごしていたそうです。
当時の柳家には多くの文人や芸術家が出入りし、白樺派の人間が集めたロダンの彫刻やセザンヌの絵が置かれていました。宗理は当時の最先端の日本文学や西洋美術に触れ、青年へと成長していったのです。
1934年(昭和9年)、宗理は東京美術学校(現在の東京芸術大学)油絵課に入学します。けれども彼は油絵の道を進むことはありませんでした。
フランス人建築家ル・コルビュジェの『現代の装飾芸術』に感銘を受けた宗理の心は、油絵からデザインへと移っていったのです。
大学卒業後、宗理はある幸運を掴みます。
商工省の招きにより来日したル・コルビュジェの協力者であるシャルロット・ベリアン女史のアシスタントとなったのです。
宗理はベリアンと全国を回ることで、「伝統と創造は同じところにある」ことに気付きました。
第二次世界大戦が始まり、宗理は戦争のためにフィリピンへと向かいます。彼の命が戦争により失われなかったことは、世界のデザイン史から見ると「不幸中の幸い」であると言えるでしょう。
終戦により無事帰国した宗理は、1947年(昭和22年)から工業デザインに着手します。1952年(昭和27年)、宗理は毎日新聞社が主催する第一回工業デザインコンクールで第一席に入選し、同年に「柳デザイン研究会」を設立します。
日本の生活に合わせて作った椅子「バタフライ・スツール」や、照明、陸橋、オリンピックの聖火台、そしてキッチン用品と、宗理は様々な分野で活躍しています。ニューヨーク近代美術館、ルーブル美術館、ポンピドーセンター、ヴィトラミュージアムなどは、彼の作品の永久保存を決めています。
1977年(昭和52年)、宗理は父・宗悦が創設した日本民藝館の館長に就任しました。民藝館の年4回の展示替えにも精力的に取り組み、ポスターデザインや月刊雑誌「民藝」の表紙・グラフレイアウトなどを今日も続けています。